酒吞童子伝説とは・・・


酒吞童子伝説

その昔、桓武天皇の皇子が越後に下り、お供をしてきた否瀬善次俊綱が砂子塚に城を築いた。
そして数代後、俊兼が子宝に恵まれなかったため、戸隠山の九頭竜権現に祈願したところ妻が身ごもり、16ヶ月後に男児が生まれ、外道丸と名付けられた。外道丸は大きくなるにしたがい乱暴者となり、国上寺に稚児としてあずけられた。

その後、外道丸を何より心配していた母が亡くなったことを機に、ひたすら仏道の修行に励むようになった。
外道丸はまれにみる美男子だったため、近郷近隣の娘たちから恋文が山のように届いたが、それを開くことなく修行に励んでいた。
ところがある日、外道丸から返事の来ないことを悲観した娘が自分の命を絶った。
そのことを知らされた外道丸が、恋文の詰まったつづらを開けると白色の煙が立ち昇り、外道丸は鬼の顔に変わり、「酒呑童子」になってしまったと伝えられている。

画像:酒呑童子絵巻1
画像:酒呑童子絵巻2
『酒呑童子絵巻』 提供:国上寺

鬼が集えば、願いが叶う!?イベント紹介


平安時代へいあんじだい燕市つばめしまれた美少年イケメン。そのは「外道丸げどうまる」。むすめたちからの恋文ラブレターみもせず、国上寺こくじょうじ修業しゅぎょうはげなか悲劇ひげきき、おに姿すがたへとわりててしまいます。その最強さいきょうおに酒吞童子しゅてんどうじ」とばれ、京都大江山きょうとおおえやまたれた、というのですが・・・。
じつは、おにとは凶悪きょうあく存在そんざいではなく、「よわ立場たちば人々ひとびとたすける正義せいぎ味方みかただった」、「人並ひとなはずれたたくみわざをもっていた」、「じつ外国人がいこくじんだったのではないか?!」というせつもあるのです。
燕市つばめしでは、国上山くがみやまふもとに「酒吞童子神社しゅてんどうじじんじゃ」を建立こんりゅうし、「酒吞童子しゅてんどうじ」を、【人々ひとびとえんむすび、ねがいをかなえる】存在そんざいとしておまつりしています。そして9月最後さいご日曜日にちようびに、酒吞童子しゅてんどうじが、あかあおの3とそのしもべの6ひきいてあらわれ、国上くがみつど人々ひとびと心願成就しんがんじょうじゅいのります。
この各地かくちおに妖怪ようかいがやってきて、来場者らいじょうしゃおにメイクやおにグッズでおにし、ねがいをかなえるためにあるく、「越後えちごくがみ山酒呑童子行列やましゅてんどうじぎょうれつ」がおこなわれます。